




9時47分、赤い鳥居がトンネルになった道念稲荷が右手にあった。(左写真)入口右手に、「蛇も蚊も」という民俗行事についての案内板があった。虫送りの行事の一つであろう。
山門をかすめるように京浜急行が通る。踏切を渡らなければ遍照院には行けないようだ。二、三分置きに遮断機が降りて電車が通る踏み切りのそばで、ヨチヨチ歩きの子供を遊ばせる父親がいた。手を離すと踏み切りの方へ行ってしまう。それを連れ戻すという繰り返しで遊ばせている。見ている方がはらはらさせられる。
山門を入って境内すぐ左手、墓地の前にイチョウ、その奥にタブの巨木があった。いずれも「横浜市の名木古木指定」と表示されていたが、「日本の巨樹・巨木林」の横浜市の欄に見当たらず、巨木には太さがまだ不足なのかもしれない。ともあれ、神奈川宿には少し早いが、「遍照院のイチョウ」(右の写真の左の樹)及び「遍照院のタブ」(右の写真の右の樹)を本日の巨木にしよう。
「浦島太郎の墓」は浦島踏切を渡り、国道1号線を越えて石段を登った上にある蓮法寺にあった。10時56分、蓮法寺山門に着く。山門左手、境内の外に、石塔や石像などとともに亀型の墓石があった。この墓石はもと浦島寺と呼ばれた観福寿寺にあったものといわれ、「浦島太郎の墓」と伝わる。
第一京浜国道に戻り、300mほど進んだ一本内側の道沿い、京浜急行神奈川新町駅前に神奈川通り東公園がある。ここが「神奈川宿歴史の道」の東の起点である。江戸末期の開港当初、オランダ領事館が置かれた長延寺のあったところである。現在はお寺も移転し、道路沿いに「和蘭陀領事館」と刻んだ石碑が残っているだけであった。
第一京浜国道をさらに200mほど進んだ国道沿いに良泉寺がある。近辺のお寺には江戸末期の開港時に諸外国の領事館が置かれた。その中で良泉寺だけは、世の中の流れに抗して、幕府の命令を敢然と拒否したという。異人が我が物顔で出入するのを心良しとしない寺院があったことは大変興味深い。きれいに整備された境内に、枝振りのよい白梅が一本満開であった。(右の写真)
第一京浜国道から東に折れ、両側をビルに挟まれた狭い宮前商店街を行く。点々と「神奈川宿歴史の道」案内板がある。その一つが右側の洲崎大神の前にあった。奥に小さな杜が覗けた。
坂道はかなり勾配がある。かっては神奈川の湊を見おろす景勝の地で海側(左側)に茶店が軒を並べていたという。今は見る影も無いが、地形的には何となく頷けそうな雰囲気があった。かっての茶屋「櫻屋」が左写真の料亭田中家辺りだと言われている。
坂の頂上の右手緑地に「神奈川台関門跡 袖ヶ浦見晴所」の石碑が立っていた。(右下写真) 生麦事件後設置された関門の一つで、古写真を見ると随分物々しいものだったことが知れる。各国領事館などが集中していた神奈川宿の西の護りの要であったのだろう。
立て札によると、
保土ヶ谷区観光協会の案内板によると、
「金沢道道標」に導かれて左折、旧東海道から外れる。すぐに赤い小さな祠があった。「豊受大神宮」の御札の前に黒い猫の御神体(?)。猫にとっては風も避けられ、日当たりも良好、お気に入りの場所なのだろう。



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