



今日は「岡部松原」のバス停がスタートである。前回と違って気持良く晴れて風もない。9時30分頃から歩き始める。デジカメに時間が写し込めて、今までは正確な時間を把握できていたが、今回知らない間に設定がずべてクリアされてしまっていて、本日の時間はアバウトになる。
旧東海道は国道1号線の藤枝バイパスを潜り、国1から右へそれて藤枝市横内の町内に入る。ここは美濃の岩村藩の飛領地であった。入口右手に「岩村藩領傍示杭」が木柱で復元されていた。(右写真)
町内には旧街道の面影はないが、往時の建物や小路の標示木杭があちこちに立っていた。左側に慶長四年(1599)に開山の慈眼寺がある。境内には美濃岩村藩横内陣屋三代目代官田中清太夫の墓といわれる代官地蔵尊(左写真の左)が立ち、前庭には水琴窟があった。水を落すとかすかな澄んだ音が聞こえた。また門前には変わった秋葉燈があった。(左写真の右)
仮宿の交差点で国道を斜めに横切って旧東海道は国道の南側に移った。目の前に笠を広げたような松が一本立ち、「従是西田中領」の傍示石が建っていた。(右写真) これは復元されたもので、本物は田中城跡の西益津中学校正門脇にある。
藤枝市鬼島で一軒の民家の前にケースに入れて飾られた変わった物を見た。細かい竹細工の友釣りをする河童の人形である。(右写真) 覗いていると、奥さんが戻ってきて、主人が趣味で作った人形だが、主人も亡くなってしまって、出しておくと無くなってしまうこともあるが、皆さんに見てもらいたいので展示していると話す。
旧東海道は葉梨川に架かった八幡橋を渡り、川に沿うように右手に進む。八幡橋を渡ってまっすぐ進む道は田中城の平嶋口に通じていた。駿府の徳川家康が田中城に入るときにこの道を使ったことから「御成道」と呼ばれている。家康はこの田中城で食した鯛の天ぷらにあたって亡くなったといわれる。
前方の街道に大きな木立が見えて、右側の須賀神社に楠の巨木があった。(右写真) ここへは何度も来ていて、もちろん「藤枝宿の巨木」にと考えていた。
須賀神社のすぐ先に鐙ヶ渕の観音堂がある。(左写真) 昔、葉梨川は今よりずっと南に蛇行して、この観音堂の西側で鐙(あぶみ)の形の渕をなしていた。渕の側らに生えていた柳の大木にまつわる伝説が残っている。
石段を十数段登った所に観音堂があった。観音堂の右側には双体の石造が三基並んでいた。双体といえば道祖神を想像するが、少しづつ姿の違う三基は街道にあったものなのだろうか。
旧東海道は水守の交叉点で再び国道1号線を斜めに渡り、国道1号線の北側に出て藤枝宿に入って行く。右側歩道に新しい白木に「東海道藤枝宿東木戸跡」と書かれた標柱があった。(左写真) ここが藤枝宿の東の入口である。ここに「木戸口染物店」というお店があるはずなのだが、ウォーク時も見逃し、今回もあたりが新しくなって、それらしいお店を見つけられなかった。
角の花屋が見通せる道路右側に秋葉灯篭があった。(右写真の左) 灯篭の前の「藤の里 歴史探訪 東海道藤枝宿絵図」という看板を見ながら待つこと10分、といってもアバウト。出てきた。
追いついて来て、女房はいい花があったという。花穂が2本立てのシンビジウムで大きさの割りに安かったという。シンビジウムの値段の違いは株の大きさ、花穂の数(2本か3本かなど)、花穂が同時に咲いているかなどであると、聞いたばかりの知識を披露する。気に入っても買って持ち帰るわけには行かないし、ここまでは買いにも来れないだろう。
大慶寺の向かいに神明神社がある。(右写真) 本殿左手に案内板があった。
その先の右側の角に「瀬戸谷街道」の標石があった。(左写真) 上伝馬で東海道から分岐して、木町を通って北に向かい、瀬戸谷の蔵田まで約10kmの街道を瀬戸谷街道と呼ぶ。蔵田の高根神社への信仰心がこの街道を整備させたと思われる。
瀬戸谷川を渡る手前の右側に入ったところに正定寺がある。境内の右手に笠状に枝を張った「本願の松」がある。(右写真) 根元には自然石をすっぱり割った碑があった。
旧東海道が県道上青島焼津線に合流する三角地に鏡池堂がある。(右写真) 由来を書いた案内板があった。鏡池堂の軒下には渡辺崋山の揮毫と伝わる額が掲げられている。(右写真の左上) この地蔵は駿河国百地蔵に入っている。
敷地内の隅には道路を背に、一面に六地蔵が彫り出された石像が祀られていた。背後に六地蔵が風化した古い石像も残っていた。(右写真)
旧東海道を先へ進むと右手にゴルフ練習場が見え、街道右手に「染飯茶屋蹟」の石柱が立っていた。(右写真) その向かいには「市指定文化財 瀬戸の染飯版木」の標柱が立っていた。(右写真の左)
山から山へ堤を築き、大井川の洪水を防いだという「千貫堤」が石野家の屋敷にわずかに現存するという。左角に石柱が立っていた。(左写真の左) 左写真の奥へ続く生垣のあたりの高まりが千貫堤の名残だという。
上青島に入って旧東海道は松並木の名残の中を進む。(左写真) 途中に松並木の中に「藤枝市 上青島の一里塚」の道しるべがあった。そして、道路側溝の内側に「東海道(上青島)一里塚趾」の石碑が立ち、側面に「南約十米 道路東 円形にて約百二十平米」と記載されていた。勿論現存しているわけではない。



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