



中川橋を渡って、街中を500mほど進んだ左側に、真ん中に一段高い歩道のある横町がある。その歩道に「御料傍示杭」があった。杭は新しい角柱にペンキで書かれた物である。側面に「従是東天領袋井宿 従是西掛川藩川井村」と書かれている。この傍示杭に「万葉歌碑110m(袋井中学校正門内)」の標識板が取り付けてあった。導かれるように万葉歌碑に寄り道した。
右側に鉄錆の浮いた「明治天皇御小休所跡」の看板があった。碑がこの路地奥にあるとの情報に探してみたが、見つけられずに、旧国道一号線に出てしまった。あきらめて先へ進む。
3分ほど西進した右側に黒塗り板壁の長屋門があった。「寺澤家長屋門」である。(左写真)
午後3時2分、旧東海道は川井の交差点で旧国道一号線と合流する。合流前に「袋井市 川井」の道しるべがあった。
一里塚の先の右側に許禰(こね)神社(木原権現社)がある。(右写真) 社叢に入った左側に御神木にもなっているクスノキの巨木があった。(左上写真) これを2本目の「袋井宿の巨木」にする。幹の根元の大きなこぶが幹周を太くしている。後日調べたところ、樹種 クスノキ、幹周 6.5m、樹高 15m、枝張 24mの巨木であった。
旧東海道が再び旧国道一号線に合流する手前右側に、「袋井市 木原」の道しるべがあった。
すぐに旧東海道は磐田原へ上って行くが、この狭い狭間に国道一号線やバイパスなどの道がひしめくように通っている。この坂を三ヶ野(みかの)坂と呼ぶ。三ヶ野坂には鎌倉・江戸・明治・大正・昭和・平成及び抜け道の質道の7つ道が複雑に越え、現在も残る珍しい坂である。それらは「三ヶ野坂の七つ道」と呼ばれて、一部散策道として整備されている。左写真はそれぞれの道に建てられた石碑で、左上「鎌倉の古道」、右上「江戸の古道」、左下「明治の道」、右下「大正の道」である。
「鎌倉の古道」はもっと南寄りからこの尾根に登って来て、「江戸の古道」の反対側からここに合流する。
大日山から三ヶ野坂上の集落にだらだら下る途中で振り返ると、傾いた西日に我々の影が長く伸びて面白かったので写真を撮ってみた。(左写真)
さきほど途中までたどった「明治の道」と合う角に、真新しい「車井戸之跡」の碑と風化した「従是鎌田山薬師道」の道標が立っている。(右写真)
磐田原の松並木が残る道を20分ほど進むと、旧東海道は少し登って国道一号線と合流する。すぐに国道の右側の高台に石段があって、「遠州鈴ヶ森」の白い看板が見えた。(左写真)
大見寺へ入る横丁の角に、「東海道見付宿」の石碑があった。(左写真) 標識によると大見寺には鳥人浮田幸吉の墓もあるようだ。つぎに、「磐田市 見付宿」の道しるべを見つけた。磐田市に入って初めての道しるべである。
淡海国玉神社(惣社明神)の入口に高札場之跡の看板がある。隣には立派な常夜燈がある。馬場町安全の文字が白く浮いている。(右写真)
前回歩いたときにはゆっくり見学しており、次のように書き記している。
旧東海道は西坂町で磐田駅の方向へ左折する。左折しないで真っ直ぐに西に進む道は「これより姫街道」という看板があった。(右写真) 三州御油までの姫街道の始点である。また池田への近道でもある。
左折して100mほど行った右側に東福山西光寺の入口がある。表門は江戸時代のもので市の文化財に指定されている。(左写真)
街道右側に国分寺跡の入口があり、中に入ると草地のだだっ広い公園になっていた。(左写真) 1260年前の天平13年、聖武天皇の詔勅で国分寺の大伽藍が全国各地に建設された。ここにも七重の塔などの大伽藍が建てられた。現在その礎石などが発掘されている。出来たばかりの日本の壮大なパワーが知れる。この遺跡から駅まで続く前の道路(旧東海道)は「天平通り」と名づけられているようだ。
国分寺跡の向いには夕闇にまぎれかけている府八幡宮の鳥居や森が見えた。ここにも万葉歌碑があったりするが、もう今日は終わりだ。




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