



そして禁止理由が二つ加わった。結局世話をする女房が過度にペットにのめり込んでしまう。さらにペットの命は人間に比べれば短い。必ず別れがやってくる。可愛がってきた人ほどその別れがつらい。それならば飼わない方が面倒がない。
順路で2階に上がった「街道」のコーナーには中部圏の江戸時代の街道案内のパネルがあり、ボタンを押すと街道が豆電球で標示され、短いビデオが流れる。五街道といわれる東海道、中山道、奥州街道、甲州街道、日光街道をはじめ、多くの脇街道が標示されていた。中でも「佐屋街道」と呼ばれる脇街道が注意を引いた。この後東海道は宮から桑名まで「七里の渡し」で渡る。しかし渡る手段のない現在、その部分は途切れてしまうと思っていた。ところが、船を嫌う人たちのために陸を行く脇街道があり、「佐屋街道」と呼ばれていたことを知った。宮宿から北へ進み、途中で西へ方向を変えて、岩塚宿、万場宿、神守宿、佐屋宿の四宿を経て、佐屋三里の渡しで佐屋川・木曾川を下り、桑名に至る脇往還である。宮宿に至るまでに、もっと詳しく調べておこうと思った。
「宿場」のコーナーでは二川宿の模型が作られていた。(右写真) ここでは二川宿が出来上がった様子が良く理解できた。かって大岩村と二川村が東海道から少し南にそれぞれ離れてあった。それが16世紀の後半に街道沿いの大岩村元屋敷と二川村元屋敷に移り、それぞれ人馬の継立を行うようになった。正保元年(1644)、両村は吉田藩領から天領に移ったのを機会に、さらに両村が隣り合わせにくっつくように移転し、二川宿と加宿大岩町からなる「二川宿」となったのである。
小さな中庭に東海道にあった石標が何基か移設して飾られていた。その一つが「左 とよかわみち」「右 吉田宿」と読めた。東海道のどの辺りにあった道標かと考えるのだが、位置関係が逆に思えてどうもわからない。
午後0時26分、何時の間にか正午を回っていた。外は暑さがさらに増していた。出た駐車場から本陣の門の向かいにも黒い格子がゆかしい町屋があった。(左写真)
前回も写真を撮った中原屋和菓子店前の高札場跡で、北へずれた「鍵の手」が判るようにと思い再度写真に撮った。(右写真) 現代でもずれている様子がわかってもらえるだろうか。
二川駅に近付いて、道路が広くなった左側に格子戸の美しい建物があった。(左写真) ただ前面のガードレールが興ざめではあるが。建物としては意外と新しいのかもしれない。
駅前で食堂を探すがなくて、200mほど北へ外れ県道3号線に出て、回転寿司の「らく天」に入る。流行らない回転寿司に入るものではないというが、また入ってしまった。二人で千円分ほど、軽く食べて出た。
火打坂の交差点で県道3号線を突っ切って緩やかな坂道の火打坂が始まる。火打坂の右上にかって「たいまつ峠」という峠があった。「火打坂」の名もそれと絡みがあるのだろうか。あるいはこの先吉田宿の東の外れに「ほくち」を売る店があって名物となっていた。「ほくち(火口)」は広辞苑によると「燧(ヒウチ)で打ち出した火をうつし取るもの。イチビの殻幹を焼き、または茅花(ツバナ)やパンヤに焼酎・焔硝を加え煮て製する。」 この「ほくち」と関連があるのかもしれない。
旧東海道は国道一号線に並行して2kmほど進み、殿田橋を渡ったところで国道一号線と合流する。午後2時、余りに暑いので、その角のマクドナルドに涼みに入った。考えてみると日本でマクドナルドに入るのは初めてである。
瓦町の交差点のすぐ先に瓦町不動院がある。東海道四〇〇年祭で道中お参りする人が多いと不動院の看板に見えた。これは立寄らねばなるまいと幼稚園のある境内に入った。
午後3時30分、広い東八町交差点に差し掛かる。コの字型に歩道橋の上から北側の緑地帯に巨大な秋葉常夜燈が見えた。(右写真) 「吉田宿中安全」の文字もある。どういういわれの秋葉常夜燈なのか、そばに案内碑があるようだが遠くて判らない。案外、東海道四〇〇年祭記念で作った新しいものかもしれない。
歩道橋を降りた所に「東惣門」のミニュチアらしきモニュメントが出来ていた。(左写真) そばに案内板があった。
東八町交差点を「東惣門」のモニュメントから左折してすぐ次の辻で右折する。この辺りから旧東海道は右へ左へと細かく曲がって進むが、そのほとんどに「東海道」の青い標識が立っている。
二つ目の四つ角を左折、右側に紅い鳥居が鮮やかな「造立稲荷」(右写真)を見て右折、500mほど直進するが、途中、中央分離帯にクスノキが植えられたために「くすの木通り」と命名された広い通りを横切る。その中央分離帯に「史跡 曲尺手(かねんて)門」の石碑があった。(左写真) これより右折して300mほど北に進むと吉田城址のある豊橋公園がある。曲尺手門は吉田城内への入口の一つであった。
この国道259号線には写真のような路面電車が通っている。この交差点の中央に路面電車の札木の乗り場がある。(右写真) 国道を渡って西へ進む。右側の「鰻屋 丸よ」前に「吉田宿本陣跡」の標柱と石碑があった。(左下写真) 本陣の向かい側には「吉田宿脇本陣跡」の石碑もあった。
200mほど進んだ左側には先ほど札木バス停のおばさんが話していた「きく宗」があった。200年前、文化年間に創業といわれる老舗である。今でも名物「菜飯田楽」を食べられる。「菜飯田楽」は金谷町の間の宿菊川宿の名物にもなっていた。かって田舎の粗飯であったものが、今やヘルシー料理として人気がある。こんな例は意外と多い。



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