



まだ松の内、JR電車も空いていた。午前9時50分、青春18切符でJR四日市駅に着く。天気は良いが風があって寒そうである。駅頭に数人のウォーキング姿のおばさん達がいて、おそらく彼女等も東海道を歩くようで、トイレなど歩く前の準備をしていた。
近鉄名古屋線のガードを潜って、古い町並みを右に緩やかにカーブしながら進む。(右写真) 駅前にいた同好のおばさん達は、どこで追い越されたのか、先に進んでおり、遠くで何かを見学している。午前10時31分、入れ違いに着いてみると、そこは古い薬局であった。(左下写真)
鹿北川に架かった鹿北橋を渡り日永に入る。すぐ右側に大宮神明社がある。正月ゆえに鳥居の前の両側に門松(松のみ)が立っていた。(右写真) いわれを記した案内板があった。
天白川に架かる天白橋を渡ったすぐ右側に両聖寺がある。(左写真)
女房と二人でよく注意して歩いていたが、案内書にあった「日永の一里塚跡の碑」は見過ごしてしまった。そうするうちに辺りに唯一残る東海道の松が右側に出て来た。すっくと立ち上がった姿のよい松である。(右写真)
すぐに旧東海道は四日市市小古曽(おごそ)に入る。小古曽の集落で右側に観音寺がある。(左写真) このお寺の観音は養蚕観音といわれ、養蚕が盛んであった往時はお参りも多かったに違いない。
旧東海道は国道1号線を南に渡って四日市市釆女町の国道の裏道を進む。やがて坂道に差し掛かる。(右写真) この坂を「杖衝坂」と呼ぶ。日本武尊は東征の帰途、急坂に差し掛かり、疲労のため御杖を突いて歩まれた。これではまるで敗残兵のようである。このあと日本武尊は鈴鹿山麓の能煩野に至り、病に倒れて亡くなる。
杖衝坂の途中、左側の石垣の上に「史蹟 杖衝坂」の石碑があった。(左写真) それに並んで鉄の蓋がされた二つの井戸と芭蕉句碑一基及び永代常夜燈があった。(右下写真)
杖衝坂の芭蕉句碑(右写真の右)に刻まれた句を調べたところ、その句には前書が付いていた。そういえばこの句には季語がないという。俳聖に掛かれば季語の無い句も名句になる。
再び国道1号線に出る。北西方向に展望が開けて、ゴルフ練習場の向うに雪を頂いた鈴鹿山系が見えた。(右写真) すでに午後0時30分を回っていたので、国道端の「どさん子」というラーメン屋に入った。
石薬師宿に入ってすぐの民家の塀に焼物で焼いて作った広重の五十三次の石薬師が飾られていた。(右写真) 一本の道の先に石薬師寺が描かれ寺の背後の山は今はない鷹飛山という。焼物はジグソーパズルのように幾つかに分けて焼いたようだ。
そのすぐ先の右側には連子格子の美しい人家の前に「小沢本陣阯」の石標が立っていた。(左写真)
裏庭に回ると「佐佐木信綱先生 産湯の井戸」と案内板のある井戸があり、また「うの花 学名うつぎ」の一株もあった。(右写真) 卯の花といえば、佐佐木信綱作詞の「夏はきぬ」は誰もが知っている唱歌である。
やがて旧街道はやや上り坂になり、瑠璃光橋と名付けられた橋を渡る。(左写真) 金色の擬宝珠のある欄干は薄いブルーに塗られていた。瑠璃光橋の下は川ではなくて国道1号線であった。
瑠璃光橋を渡ってすぐ、道路から右下に少し下った先に石薬師寺の門があった。(右写真) 後で気づいたがこの門は裏門だったようだ。門を入るとさらに下って本堂の左手に出た。石薬師寺は正式には「高富山 瑠璃光院 石薬師寺」という。瑠璃光橋はこの瑠璃光院から出ているのだろう。
石薬師寺の参道を逆に抜けて正面の門から出た。出た所も旧東海道である。すぐに街道から東へ逸れて100mほど進んだところに小さな神社がある。「蒲冠者範頼之社」の石碑が建つ。源範頼を祀った神社である。(右写真)
寿永三年(1184)、範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、石薬師寺に詣で武運を祈願した。戦運を占うために、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに刺して、「我が願い叶いなば、汝地に生きよ」といってこの地を去った。それが活着し生長したのが「石薬師寺の蒲ザクラ」である。
御曹子社から60mほど南へ行った所に、「石薬師寺の蒲ザクラ」(三重県指定天然記念物)があった。(右写真) 「開花時は見事」と案内板にはあるが、現在の枝振りから開花時の様子を想像するのは難しい。
旧東海道は鈴鹿市上野町を抜けて、鈴鹿川の支川の蒲川を渡る。午後2時43分、渡ったすぐ左側に「石薬師の一里塚」があった。(左写真)
旧東海道はこの先はっきりしなくなるが、我々はJR関西本線のガードを南へ潜り、土手上の関西本線の下を沿ってしばらく歩いた。やがて国道1号線を潜って北側に出た後、最終的には鈴鹿川沿いの国道1号線に合流した。吹きさらしになると、前方からの西風が強まり前屈みの帽子を抑えての歩行となる。風が冷たく、何時の間にか晴天であった空に、鈴鹿山系を越えてきた雪雲の名残が覆い始めている。
庄野宿は宿場町の雰囲気を残した町並みで(左写真)資料館もあるらしい。時間はまだ3時を回ったばかりで早いが、この先のJRの井田川駅までは3キロほどある。折から空から細かい雨粒が落ちてきた。夏と冬の季節は違うが広重の描くところの「庄野の白雨」である。戦意喪失して「今日はここまでにして加佐登駅に戻ろう」と女房に話す。



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