



午前9時26分、西へ歩いて関地蔵院に至る。(右写真) 前回はここで終わりにした。前回から20日経って、蕾の固かった関地蔵院の桜も今朝は満開である。地蔵院の裏には高い樹叢が見える。まだ関宿の巨木を見つけていなかったことに気付き、あの樹叢の中に巨木があるかもしれないと、裏へ出る横丁を探しながら、先へ進む。
復元中の町屋が一軒あった。瓦を屋根に上げるためトラックが横付けされていて、青いシートの内側の復元中の様子が見えた。(左写真) 新しい材料を使って二階の格子や幕板などが作られていた。この後新しい材料の部分は古色に仕上塗装されるのであろう。復元中の家屋の左側に半分ほど写っている家はかって火縄を商っていた松葉屋という店だったという。
松葉屋の向いに同じ苗字の田中家がある。(右写真) 案内板があった。
案内板によると、
関宿新所の町並みを西追分に向って進む。(左写真) 左側に西追分の休憩施設があり、国道1号線と再合流する三角地に、桜の花に囲まれて題目碑を兼ねた追分の石柱があった。(右写真) 「南無妙法蓮華経」の下に「ひたりハいか やまとみち(左は伊賀、大和道)」と刻まれている。この道標は京都三条の谷口長右衛門が建てたと言われる。
午前10時6分、関宿を出て旧東海道はしばらく国道1号線と重なる。鈴鹿川に架かる市ノ瀬橋の手前で国道から右手に別れ市ノ瀬の集落に入った。鈴鹿川を渡り右岸に出て国道を横切った西願寺前に時代を十分感じさせる自然石の常夜灯があった。(左写真)
再び国道1号線に出て、旧東海道は右手に鈴鹿川の深い谷を見ながら少しずつ登って行く。途中に東京より427kmを示すポストがあった。
沓掛に入って旧東海道は再び国道から右へ別れる。この後鈴鹿川は東海道の左側になる。街道左側にショウジョウバカマのピンクの花を見た。(左写真) 静岡では早春に見る花である。季節の進行が随分遅い。
午前10時36分、五角形と三角形を組み合わせたドーム状の鈴鹿馬子唄会館についた。今日は三重県知事選挙で馬子唄会館は地元の投票所になっていた。それでも入った展示ホールの見学は出来た。
馬子唄会館を出ると間もなく坂下宿に入る。今は茶畑の見える集落で往時をしのぶのは、本陣などの跡を示す石標だけであった。
坂下宿で唯一目に付いた往時のものとしては路傍の祠の石の地蔵さんであった。「身代地蔵尊」と書かれていた。(右写真) これは「身代わり地蔵」と読むのであろう。人々に代わって辛苦を受け、身代わりになってくれるお地蔵さんである。
旧東海道はすぐに国道と別れ片山神社の石柱に導かれて右手に入る。(左写真) いまは片山神社の参道のような道で、水害まではこの辺りに宿場があったというは信じがたいほど狭い場所に感じた。
午後0時20分、300mほど山道を入った所に片山神社はあった。(右写真) 見上げるような石垣にかっての繁栄が知れるようであった。片山神社は鈴鹿大明神、鈴鹿大権現とも呼ばれ、社前には頓宮があった。「頓宮(とんぐう)」は、天皇が行幸する際に設けた仮の宮で行宮(あんぐう)ともいう。神社脇から鈴鹿川が流れ出ているといわれる。木の鳥居の左側には「鈴鹿流薙刀術発祥の地」の石碑が少し傾いて立っていた。(右写真の左)
片山神社の右側に回り込む鈴鹿峠の最初の登りには石畳が残っていた。(左写真)
片山神社の森には何本か杉の巨木がある。峠道から見て最も太く見えた杉を「坂下宿の巨木」とする。それが最も太い木であったならば、「日本の巨樹・巨木林」によれば、「幹周囲 3.57m、樹高 38m」であるのだが。そばまで行ってみなかったが、根元に向けて太くなっており、その太さくらいは十分ありそうに思えた。(右写真の下)
案内板に紹介されている芭蕉の句碑がすぐそばにあった。(左写真)
峠道のはじめは石段の緩やかな道であった。(右写真の右) 途中に馬の水のみ場が復元されていた。(右写真の左上) 清水をパイプで水のみ鉢に引いてあり、水が一杯溜まっていた。




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