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午後の部を歩き始めて間もなく右側に城南神社があった。(左写真) 伊勢神宮は20年ごとに建て替えられる。それを遷宮という。20年使用された古材は地方の末社に払下げられると聞いたが、その一部がここにも来るようだ。
道はまっすぐ延びて、午後1時10分、町屋川の土手に突き当たる。その手前の右側に「安永の常夜灯」がある。(右写真) 常夜灯の脇には石柱が立っている。それぞれの面に「従 町屋川中央地 桑名郡」、「距 三重縣廰 拾一里丗甼餘」、「距 桑名郡役所丗三町余 明治廿六年二月」と刻まれていた。
町屋川(員弁川)は旧東海道の町屋橋の100mほど下流に架けられた国道1号線の町屋橋を渡った。下流の旧東海道の町屋橋のあったらしい辺りを写真に撮った。(右写真) 石取祭りの石取りはどの辺りで行うのであろう。
町屋川を渡ると朝日町縄生に入る。古い町筋を数分進むと、左側のタバコ屋さんの前に石碑があった。(左写真の左上) 線刻でよく読めないので、顔を見せたおばさんに聞くと、「山口誓子の句碑です」との答え。後日調べると、昭和25年10月建立の山口誓子の筆跡を刻んだ句碑であった。
伊勢朝日駅前には小公園があった。大型の瓦で造った碑があった。(右写真) 次の文と「東海道中膝栗毛」中の焼き蛤を焼く挿絵が線刻されていた。そういえば結局桑名で焼き蛤を食べそこねた。
すぐ先の左側、民家の前に榎の古木が一本あった。(左写真) 元は松並木の中に混じった一本だったようだが、松の木と違って役に立たない樹種だったため、この木一本だけが残った。冬のため丸刈りにされて淋しい姿である。ともあれこの木を「朝日町の巨木」としよう。
数分進んだ先を左折すると朝日町役場がある。役場の前には国学者の「橘守部翁生誕之地」の大きな石碑があった。(右写真) 実際の生誕の地は東海道をもう2分ほど先に進んだ左側の街道沿いでそこには案内板があった。
すぐ先の右側に浄泉坊というお寺があった。(左写真) 徳川家に縁のある桑名藩の奥方の菩提寺であったため、山門や瓦に三つ葉葵の紋が入っており、参勤交代で表を通る大名もこの門前で駕籠から降りて一礼をしたといわれている。本堂屋根修復の際、本堂の鬼瓦で浄泉坊の由来を書いた案内碑が出来ていた。(左写真の左下)
午後2時18分、朝明川に架かる朝明橋を渡ると旧東海道も四日市市に入る。橋を渡る手前の右側土手の脇に多賀大社の常夜灯があった。(左写真)
四日市市松寺を過ぎ、蒔田に入ると右側に長明寺がある。長明寺は立派な塀と濠に囲まれている。(右写真) 鐘楼が緑に囲まれた築山の上にあった。(右写真の円内)
旧東海道に戻って300mほど進んだ左側の民家前に、聖武天皇ゆかりの遺跡「鏡ヶ池」の石碑があった。(左写真)
四日市市西冨田町で左折して、もう一度三岐鉄道と近鉄名古屋線のガードを潜ると、すぐ右手に「富田の一里塚跡」の石碑があった。(右写真)
近鉄富田駅近くの住宅の密集地を5分ほど進むと、左側に猫の額ほどの土地に地区の集会所のような八幡神社社殿があった。(左写真) 紡錘形の「八幡神社址」の石碑もあった。この神社は明治に一度ここより南に500m程下った鳥出神社に合祀されたが、戦後になってこの地に戻されたいきさつがある。
八幡神社からすぐの右に「行啓記念道路」の石碑と案内板があった。(右写真の左) いわれは案内板に詳しい。
富田小学校前に「明治天皇御駐輦跡」の石碑があった。(左写真) 明治天皇は東幸、還幸、再幸の三度ともにここ四日市の富田茶屋町広瀬五郎兵衛方で小憩されている。
午後3時23分、間もなく街道はT字路に突き当たりわずかにクランク状に進む。その突き当りに「新設用水道碑」が建ち(右写真)、そのそばに「力石」が置かれていた。(右写真円内) 力石は手前の八幡神社にも置かれていた。「力石」には「三十二メ」と刻まれているのが読めた。
「力石」から3分進んだ角に、「右いかるが 左四日市」の小さな道標を見つけた。(左写真円内)これより北へ入ると茂福神社やいかるが神社に至る。
旧東海道はやがて米洗川に架かった米洗橋を渡るが、その手前右側に常夜灯があった。(左写真)
海蔵橋の手前で旧東海道は左へ少し逸れる。そして午後4時14分、海蔵川の土手に出る。土手上に夕日に染まった「三ツ谷一里塚跡」の石碑があった。(左写真)
10分歩いて三滝川に架かる三滝橋を渡る。丸い街灯の下がった橋柱が夕陽にシルエットになって面白い写真が撮れた。(右写真) いよいよこの辺りから四日市宿に入る。
三滝橋を渡ったすぐ左に笹井屋を見つけた。蔵作り、白壁の案内書にある建物である。(左写真) すると先ほどお土産を買った笹井屋は三ツ谷店といったところか。それならその旨教えてくれれば良さそうなものを、話すと売り損なうとでも思ったのであろうか。女房とそんなことを話す。
旧街道は国道1号線を斜めに渡って諏訪神社に向かっていたと思われるが、現在は市街化の区画整理のため一部途切れている。角に旧東海道の道標があった。(右写真) 案内書では手差の道標だと書かれているが、一面には「すぐ江戸道」、もう一面には「文化七庚午冬十二月建」と手差の絵は無い。裏面の一面に「すぐ京いせ道」、もう一面に「右京大坂道、左いせ参宮道」とあり、この最後の面に手差の絵が描かれているという。残念ながら確認しないで通り過ぎてしまった。
旧東海道は一号線を斜めに渡ってアーケードのある諏訪栄商店街に入って行く。その入口の右側に諏訪神社の入口がある。夕闇の迫った諏訪神社に入った。諏訪神社裏の諏訪公園に行き、ガマンしてきたトイレを済ました。



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