



午前9時10分、元箱根終点で下車、箱根神社の赤い大鳥居の根元の「賽の河原」(左写真)から今日の旅を始める。かっては湖畔に並んでいた石仏・石塔のほんの一部を集めたものという。標高700m、運び上げるには決して楽ではなかったはずなのに、次から次へと石仏・石塔を立て続けた昔の人々の思いとはどんなものであったろうか。遠い昔に想いをはせた。
大鳥居から振り返ると箱根杉並木が箱根関所跡の方向へ続いているのが見えた。(右写真) この道は前回の最後に歩いた箱根旧街道である。
旧街道杉並木の始まりの山側に、「箱根旧街道一里塚 江戸から二十四里」と刻んだ石碑(左写真)があった。「葭原久保の一里塚」である。
これより何百メートルかの杉並木は昔の街道の姿をよく残して、今にも大名行列が進んで来ても違和感のない風情であった。(右写真) 往時との違いはかっては杉並木がもう少し細かった位であろうか。
国道から芦ノ湖側に外れて、「箱根関所跡」(左写真)に立ち寄る。現在、関所周辺の整備が行われている。昔の面影を残した整備に留めて欲しいものである。関所にはすでに観光客がたくさん入っており、女房も最近訪れたというので、本日は素通りすることにした。六年前の正月に「東海道五十三次ウォーク」はここをスタートとした。(以下略して「ウォーク」と呼ぶ)
「ウォーク」では峠越えに備えて、関所近くの「美濃屋」という蕎麦屋で腹ごしらえをしている。今回、我々は途中のコンビニでおむすびを仕入れた。
箱根の街の外れで、箱根峠に登る国道一号線と別れて、右手に進む。駒形神社を左手に見て、すぐその先で、午前10時、箱根旧街道の石畳の登りが始まる。入口に芦川の石仏石塔群が安置されているが、夏草に埋没しそうになっている。(左写真) ここで若いカップルを先に行かせる。東海道歩きに若者をカップルで見るのは珍しい。
これより箱根峠に向って、約500mの石畳の登りが、「向坂」「挟石坂」と刻んだ碑(いしぶみ)(右写真)に導かれて、続いていく。さっそく旧街道は蛇行して登る国道と交差し、国道の下を潜る。箱根道中で、車道を歩道橋で渡る所は何箇所かあったが、下を潜るのはここだけであった。石畳が国道下にも途切れずに続いていたので、女房が昔からこうなっていたのかととぼけた質問をする。もちろん昔は国道は無く、同じ傾斜の石畳が続いていた。おそらく交差する部分の石畳を少し削って、潜りぬけたところから段をつけてもとの石畳に繋いだようだ。
茨ヶ平より車道から左へ分かれ、箱根旧街道の下りが始まる。その入口に「兜石」の道しるべ(左写真)が建っていた。静岡県の旧東海道筋には、 歴史の道『東海道』の道しるべ として、共通の標識が往来の要所に設置されている。「ウォーク」のときには、設置されたばかりのこの道しるべに度々助けられた。この「兜石」の道しるべは最初の“道しるべ”であった。この旅の記録ではこの道しるべを以下のように記録しよう。
休憩舎のある茨ヶ平には十国峠方面を見晴らす絶景の地に、箱根八里記念碑「茨ヶ平」(右写真)が建っている。この碑は井上靖の文学碑であった。“北極星を指差す大きな人差し指”のような文学碑で、爪の部分が碑面になっている。
下りに入って、背丈より高い篠竹のトンネルの道(左写真)になる。「ウォーク」の時よりはるかに篠竹が繁茂している。箱根に多く自生している篠竹をハコネダケと呼ぶ。小筆の軸か民芸品にしか使われなかったハコネダケが、関東大地震のあと、日本家屋の土壁の下地として珍重され、復興に大変貢献したという逸話も残っている。
もう一度国道を渡った箱根旧街道の入口に、緑に埋もれて、「国指定史跡 江戸より二十六里 東海道一里塚」と刻まれた石碑があった。「山中新田の一里塚」(右写真)である。
「接待茶屋」から少し下った右側に大きなおむすび型の石があった。先刻、国道に出る前の路傍に「兜石跡」の標石を見たが、道路改修にじゃまになってここへ移したものだという。
このあたりの旧街道を「石原坂」というらしい。林の中の道にせり出した岩に、「念仏石」のネーミングがされていた。下部に窪みがあって伝説を生みそうな岩であった。
旧街道は「大枯木坂」に掛かった。この辺りであったか、犬を2頭散歩させるおばさんに出会った。大型犬の手綱を引き、小型犬は放したままで散歩をさせている。
国道を渡って、「小枯木坂」を行く。この辺りは「ウォーク」時には、「石畳を発掘中で、何m置きかで四角く石畳が出る所まで掘られている。おかげで道はそれらの穴を縫うように縄張りされて蛇行している。石畳までの深さは50cmから1.5m位まであって、焦げ茶色の火山灰で覆われている。これは富士の宝永山噴火の堆積物なのであろうか」と記録している。現在はすっかり整備が終わり、大変歩きやすい道になっていた。(右写真)
小枯木坂の終わり、国道へ上がる直前の杉の大木の前に「雲助徳利の墓」がある。“さかずき” と “とっくり” を浮き彫りにした墓石があった。一見して酒好きの墓とわかる。誰が供えたか一升瓶をまるで墓石が抱えているように見えて、笑ってしまうユーモラスな墓石である。
竹屋の向かい側から山中城跡に上った。
国道から登った先に駒形諏訪神社がある。山中城趾はその左背後に広がっている。駒形諏訪神社にはカシの巨木(左写真)があった。
ぐるりまわって降りて来たところは、最も南の三島側の駐車場であった。宗閑寺にあるという敵味方両軍のお墓に詣でようと、国道を戻る。途中、左階段上に「芝切地蔵堂」があった。(右写真)
宗閑寺はそれと気付かず通り過ぎ、引き返して、午後1時、やっとたどり着いた。入口が狭く標識が横たえてあって、判り難くなっていた。境内の左手に、北条軍が左側、豊臣軍が右側に、それぞれの墓が固まってあった。(左写真) 敵味方、ほとんど同規模で、勝利した豊臣軍の方がわずかに立派に見える程度の違いであった。
少し進んだ石畳の道端に、箱根八里の記念碑 「山中城趾」、司馬遼太郎の文学碑(右側の右写真)があった。楽器の琵琶を、胴を上にして立てたような形の碑であった。だからという訳ではないが、琵琶の音が聞こえてくるような碑文である。
国道端に一本杉と呼ばれる巨木が立っている。国道を渡った斜め向かい側に「菊池千本槍の碑」 があった。御醍醐天皇の頃、菊池氏が竹竿に短刀を括り着けて槍を作り戦いに望んだ。それまで槍という武具は無かったというが本当なのかどうか。
午後1時30分、浅間平地区を抜けて、再び国道を横切るが、その手前の広場に大きな芭蕉の句碑があった。
街道は国道に出て、少し路側の歩道を行き、すぐにまた石畳に戻る。その出口と入口にそれぞれ「上長坂」と「笹原地区石畳」の道しるべがあった。
笹原一里塚は旧街道が集落に入り、国道を横切る少し手前の左側にあった。木杭で造った階段を登ると丸い塚の形と、その上に榎らしき樹もしっかり植わっていた。(右写真) 傍らに箱根八里の記念碑 「笹原一里塚」、大岡信の文学碑があった。(左写真) この碑も形が変っている。山仕事に使う鉈を短く太くしたような形といおうか。これも意図したものであろうか。碑文と妙に呼応する。
14時24分、かって寺本陣と呼ばれ、本陣の機能もはたした松雲寺に着く。ここにも明治天皇の足跡が碑として残っていた。また境内に入った右側に「明治天皇御腰掛石」なるものがあった。(右写真) 女房を座らせてデジカメに撮ったが、畏れ多かったせいか失敗してしまった。
かって狭い境内には杉の巨木が鬱蒼と生育していたが、狩野川台風で失われたという。今は「参杉明神」として小さな祠が残る。(左写真)
集落を外れて、車道からも右へ分かれて、坂小学校の側を行く。学校のある辺りに、昔は法善寺という寺があり栄えていた。右側の小公園に「史跡法善寺旧址」と刻まれた石碑と寺誌の石碑があった。(右写真) 現在、法善寺はこの下の題目坂を下った市山新田に移っている。寺の中には足利尊氏が建立したといわれる「七面堂」というお堂もあったという。題目坂の下り口に石碑が残っている。石碑側面には「東海道中膝栗毛」の中の狂歌が刻まれていた。
題目坂を降りたところに「題目坂」の道しるべがあった。
法善寺の門の右側には確かにひげ題目の石碑があった。5分ほど市山新田の集落を進んだ右側に「六地蔵」がある。(右写真) 植え込みの中に隠れて、立札がなければ見過ごすところであった。六地蔵も代替わりするのか、背後にもう一組のかなり草臥れた六地蔵が並んでいた。
この先から初音ヶ原の松並木が始まる。(左写真) 松林の更に西側に石畳が復元されて、この石畳と松並木は静岡県街並50選に『石畳の道』として選ばれ、近くの住民の格好の散歩道になっている。
15時40分、松並木を100m程歩いた所に錦田の一里塚(右写真の左側)があった。バス道の向こう側とこちらに対で塚が残っている。塚の上には榎が植えられている。街道筋で最も典型的な一里塚として現存するものの一つだという。
さらに右側緑地に紫陽花に囲まれて「箱根大根の碑」があった。(左写真) 碑文に 箱根八里の馬子吹き消えて 今は大根を造る歌 源水 とあった。明治になって鉄道により街道が廃れて、旅人の世話を業としていた人達が大根作りを始めた。この街道の切干大根は有名であった。
道路左側の宝鏡院入口の左右に、馬に乗るとき踏み台にする石が置かれていた。「鞍掛け石」という。(右写真)
大場川に架かる新町橋を渡り、三島宿に入る。一路、本日のゴールの三嶋大社に最後の歩を運ぶ。16時30分、三嶋大社に着いた。三嶋大社には見るべき物も多いが、本日は街道に関係のある「たたり石」だけを見た。




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