



午後0時30分、旧東海道は急な下り坂になって沓掛にかかる。さらに、「二の曲り」と呼ばれる、乗用車では無理なほどのきびしい急坂と急な曲がりを下る。振り返って写真を撮ってみた(左写真)が、坂の厳しさは撮れなかった。
坂を下り国道一号線バイパスを潜る手前の山側に石垣と水路跡が残っていた。(右写真)
バイパスを潜り国1の旧道を渡って日坂の町に入る。家々の門々に昔の屋号を墨書した木製一枚板の看板が掛かっていた。正午を回ってお腹が空いていた。何か食べるものをと探すが、パン屋さんもない。代りに大きな秋葉燈篭があった。(右写真)
日坂幼稚園が日坂宿本陣の「扇屋」であった。門だけがそれらしく再建されていた。(左写真) またかたわらに「日坂宿 本陣跡」の道しるべがあった。
「藤文」という商家の建物が掛川市に寄贈されていた。裏へ回ると倉が一棟綺麗に修復されていた。母屋も朽ち倒れそうな建物であった。(右写真) おそらく遠くない将来に修復されるに違いない。
「萬屋」は小さな旅籠、古い建物が復元改装されていた。(右写真) いわば庶民の旅籠といったところ。中には入れず、覗いてみるだけであった。案内文に食事を供しないとあったが、素泊まり専用の旅籠だったのであろうか。
すぐ先の相伝寺入口左に、先刻教えていただいた秋葉燈篭があった。(右写真) 裏に回ると「天保十年亥八月建立」と刻まれている。1840年の建立である。先ほどの新しい秋葉燈篭よりも笠や火袋が大きく立派な石灯篭であった。
「下木戸跡」にはただ逆川の川渕に立札と案内板が立っているだけであった。(右写真)
古宮橋を渡った先の左側に明治の書家の成瀬大域出生の地の石標がある。(左写真) かって川坂屋に残る成瀬大域の書を見たが、文字から文字への筆の流れがしっかりと書かれ、きっちり一筆書きのような筆致で、大変好感が持てた。
日坂の町外れに「村界の石碑」(右写真) があった。「日坂村 東山口村 村界 日坂村青年会 東山口村青年会 大正四年一月建設」と読めた。隣には現在の「日坂宿 宿場口」の道しるべが並んでいた。
事任(ことのまま)八幡宮は延喜式に記載があるほど、昔から街道筋にあった古いお宮で、『枕草子』にも名前が見られる。『枕草子』の第二百二十六段に、「社は、・・・・・ 言のままの明神、いと頼もし。・・・・・」と書かれている。
参道をまっすぐ進んだ先に「事任八幡宮の大クス」がある。根の張り具合が良く、まだまだ勢いがあった。幹ほどに太い枝が1本南へ伸びて、全体が傾いてバランスが悪く見える。(左写真) 幹周囲は 5m 、樹高は 30mの堂々とした巨木である。
そこに「掛川市 塩井川原」の道しるべがあった。
午後1時40分、ここまで昼食に有り付けずに来た。伊達方に入って、やっと萩田食料品店を見つけた。女房が昼食のパンと飲み物を買いに行く。
伊達方の集落を抜けて再び国道に出るところに、東山口村青年団の建てた 「歌人石川依平翁出生地」 の石標が立っていた。(左写真の左)
諏訪神社からしばらく旧道を行き、再び国道にでるところに 「掛川市 本所」 の道しるべがあった。
旧東海道は「成滝東」の交叉点で国道から左へ分かれて掛川宿に進む。その分岐点に「馬頭観音」の祠がある。(左写真) 格子の中を覗いてみると、石造の馬頭観音像が見えた。反対側には 「掛川市 成滝」 の道しるべがあった。
成滝の通りの半ばの掛川市農協西山口支所の前に、竹垣で囲まれた「福天大権現標石」がある。(右写真) これも伊達方で見たものと同時代の石標と思われる。「大頭龍大権現」の文字も見える。大頭龍神社は菊川町にある神社である。この道は川崎湊に出る川崎街道の始点でもあった。
「馬喰橋」の橋柱は馬の顔がデザインされてユーモラスであった。(左写真の左) 西橋詰に葛川一里塚の跡が小公園に整備されていた。(左写真の中) そこに火袋・中台・竿が一体になったモダンな秋葉燈篭があった。(左写真の右)
拡幅され歩道が整備された道を真っ直ぐに500mほど進み、歩道が尽きた先に「東海道七曲」の標識がある。道は直進しているが、直進しないで標識に従い左折する。ここからが七曲りの始まりである。
三つ目の曲りには葛川一里塚のものと同じモダンな「秋葉常夜燈」(右写真)のある角を左折する。四つ目の曲りはカネモ製茶に突き当たって右折する。
七曲りの終点で道が西へずれ、桝型になって少し広くなっている。(右写真)そこにかっては東番所があった。「掛川宿 東番所跡」の道しるべと七曲りの案内板があった。
仁藤の交叉点を北へ進んで、左角の天然寺に立寄る。天然寺前に古墳の石棺のような「ケイスベルト・ヘンミィの墓」(右写真)があった。石柵に囲まれた墓は風化して表面に書かれた文字は判読できないが、記念碑と案内板があった。
天然寺の角を北へ進むとすぐに仁藤大獅子保存小屋に至る。ガラス越しに大きな獅子頭が見えた。有名な仁藤大獅子の獅子頭であろう。
後で案内文を読むと、案内文のスケールと目にした獅子頭とは少し規模が違うように思えた。
大手橋の南に掛川城大手門も復元されている。(左写真) その北側には番所が移築されていた。
大手門の北へ戻ったところに「三光稲荷」の派手な赤い鳥居が目立った。掛川城の鎮守として京都の伏見稲荷を勧請したものだという。




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